2015年2月

  • イデオロギーとかいう

    連日報道されるイスラム国関連の話題。
    様々なニュースのヘッドラインを眺めても、
    自分に解釈出来る範囲はとっくに超えているように感じる。
    命が簡単に奪われることのない国で暮らしてきた自分には
    「それはつまりこういうことだ」と言い当てることは当然出来ない。

    しかし、これはイデオロギーなのか。
    イデオロギーのために人が殺されるのか。
    当然、イデオロギーは直接人を殺せない。人を殺したのは人だ。
    そこに正義という言葉を混ぜ込むなら、それは途方のない偏りだ。

    「お前らは自分たちの理想と言い換えた”利益”のために人を殺してるんだからな、そこに神を持ち出すなよ。」とイスラム国の連中に、その偏りだけは自認させたい。
     
     
    閑話休題、、では「偏りのない考え」とは、と聞かれれば答えに窮する。
    厳密に考えればすべてのことはどちらかに偏っていて、
    本当の意味での観念的な”真ん中”はないようにすら感じてきた。
    「考え」ってすなわち「向き」と言い換えることだって出来そうだし。

    しかし、過剰は自重し、不足には補填する。といった
    偏らないであろうとする姿勢こそが大事なのだろうなと感じます。
    「言い過ぎたな」「やり過ぎたな」「困ってそうだな」という気持ちが持てれば、
    何かを著しく侵害せず、誰も大事なものを失くさずに済みそうだなと思うのです。

    ずいぶん共産主義的だなと言われりゃ、もう面倒なので何も言わんっ!
    というか、そもそも全部独り言でした。

    ちなみに、私自身は下の名前を「庸真」と書きますが、
    二文字とも「とにかく偏るなよ!」と念押しされているような名前です。
    両親には誠に大仰な名を付けてくれたなと思うと同時に感謝します。
    いずれ名が体を現しますように。

    2月11日のライブは the waruinamidaと久しぶりの共演。
    彼らも元気だろうか、たまにこういった嬉しいことが起こる。

    ウイ