oui531

  • 通過

    ff882c52.jpg僕は幼い頃から日本の各地を転々として育ってきました、小学1年生の頃、富山県の海沿いの街に住んでいました、当時の僕の全世界はその小さな街の一部、そこで多感な少年期を送っていました。二年生にあがってすぐに岩手に引っ越してその街に赴くことはなかったんだけど18歳の頃、無茶な一人旅の途中で立ち寄ることに決めました。そこで、再び出会った街なみに、僕が感じたのはとても不思議な感情でして、単なる懐かしさでは到底表現できないものでした。
    なんというか、「本当にこの街はあったんだ、、。」といった心境が一番近かったかもしれません、あくまで記憶の中でしか見れなかった風景をまじまじと見せ付けられ「あー、オレ本当にここにいたんだ」と思っちゃったんでしょう。
    幼い頃に短い時間を過ごした場所は10年を経た自分にとってはどこか幻想的で平面的になってしまっていたからかもしれません。
    過去に自分が遊んでいた公園で遊ぶちっちゃい子を見ていて
    「続いてるんだぁ、、、。」とひしひしと胸を締め付けられるようなものもを感じたのをおぼえてます。
    ひとつひとつ昔見ていた風景を確かめながら「ここにいた」と確かな実感が湧くにつれ、それまでは思い出せなかった情景がフィードバックしてきたのも印象的でした。
    ありきたりな表現だけど『風景が話しかけてくる』ってのはこういうことなのかもしれないなーと思いました。
    自分が通過してしまったとしても「場所」は消えない。少しずつ形は変わっていくかもしれないけど「そこ」は在り続ける。
    という一見あたりまえのことにえらく心を揺さぶられたわけです。
    こんなことを思い出したのも、今日喫茶店で友達とMy Little Loverの『Hello, Again ~昔からある場所~』って曲いいよなーって話から、
    マイラバ→ 記憶の中で~(歌詞)→ 昔からある場所 → 富山
    みたいな連想ゲームみたいに思い出しました。 あの曲良いですよね。
     
    ウイ

  • ちなみに

    アサヒナでした

  • 最近・・・

    何かを考えることが減ったなぁ。色んなものに追っかけられるような生活をしてるとさ。ちょっと前まで結構そういう状況の方が自分と向き合うことが多かったんだけどねー。最近は現実逃避主義というか、知り合いが一人もいない場所に1週間くらい行きたいな。1年2年先は待ち遠しいんだけど、明日が来てほしくない毎日だな。
    ちなみにK-1見ました?レイ・セフォー超カッコイイっすね。

  • きのこの山のたたり

    cf22cebb.JPG僕はよく人に好きな食べ物を聞く。特に意味はないんだけど、会話の糸口が欲しくてよく聞く。
    いつも同じ人に聞いてしまうらしく「何回も同じコト聞くなよー」とよくクレームを頂くので最近は変化技として
    「たけのこの里ときのこの山どっちが好き?」という質問をする。
    これが結構面白くて、きのこの山派の方が少数派なんだけど、大体のきのこの山派は「たけのこの里なんて邪道だよ!」とたけのこ派を強く否定してコメントしてくれるのだ。 僕はあくまでたけのこ派なので、きのこの山の文句を並べ立て、論議が白熱するパターンが多く楽しいかった。
    だから最近はきのこ派のヤツを見つけたら「来た来たー!」って思いながら「あんなのどこが良いの!?」とか喧嘩を吹っかける勢いで話すように努めてきた。
    ただ、この前きのこ派の後輩の女の子に同じパターンで話しかけたら、ものすごく白い目で見られ、「どっちでも良くないすか?」と一蹴されてしまった。
    僕としては議論を白熱させる目的できのこの山を否定しまくったのだが、結果的に
    『お菓子の味でギャーギャーわめく男の先輩』
    になってしまったのだ。
    まったく、会話の糸口のためにきのこの山をバカにしまくったために罰が当たったのだろう。
    写真は全国の皆さんのアンケートでたけのこの里がより多い支持を得たらしく発売された記念パッケージ。
    最近はこれを見ると複雑な気分だ、、。
    ウイ

  • 見えない何かが消える 消えない何かが見える

    8ec235d9.jpg秋です。よく「考えごとの秋」と言いますが、秋の気配と共に考えなくちゃいけないコトが増えてくるというのはまったくありがたくない風流さです。
    友人が外国に行きます。彼からはいろんなものを学び、時間と環境を共にしてきました。「ありがとう」なんて言葉では足りなさすぎるので、多くは語りません。
    今日、ちょっと思ったことがありました。
    漠然とした生活の中で、いわゆる人生と呼ばれるものを感じるのは往々にして悲しいときだ。
    ということです。「人生」という言葉に甘美な響きより、むしろその反対のイメージがぼんやりと映るのは
    僕だけではないでしょう。
    それでも人生は素晴らしいのだと思います、いや、「それでも」ではなく「だから」なのかも知れません。
    とか言わせてしまう秋の予感。  ウイ