成人後のトランポリンの反作用と素早い酔っ払い

10こんにちは。連休ですね。おととい伊豆にて大型トランポリンに乗りました。あんまりにも楽しすぎてバク中を繰り返していたら着地点失敗して背中を強打。旅先で臥せっていました。一番楽しみにしていたこれを断念。無念。

先週は一人スタジオ。ちょっとしたミステリー体験。
いつも一人でスタジオ入るときは6時間で入るので途中に長めの休憩をとって散歩がてらコンビニに行く。今回も3時くらいにローソンに向かって歩いていると、人が倒れているではないか。同年代くらいの男だったので、まぁ連休だから飲み過ぎて帰り道で寝ちゃったんだろうくらいに思って、とりあえず素通り。
しかしコンビニからの帰りも当然視界に入る。
万が一死なれても気まずいし、ヤバイ様なら救急車呼ぶかタクシーくらい捕まえてやるかと様子を窺ってみることにした。
やはり完全に酔いつぶれている。意識は失ってないようなので一安心だが、
スーツがボロボロになっていて、唇から出血している。あちゃー喧嘩かなーと思いながら「大丈夫ですか?」と声をかけると。
「うー、みず、、みずお願いします」と言われた。よくよく見ると眉間からも血が出ている。
なんか一気に緊急事態な感じになり走ってコンビニに戻り水を買う。
んで小走りで現場へ戻ると、いない。あれ?とあたりを見渡しても姿が見えない。
ものの1~2分しか経っていないはずなのに、。
急に心配になって近くをフラフラ歩いてないか少し探してみたのだが、やはり姿が見えない。
うーむ、彼が自分の足で去ったとなると結構な素早さだぞ、と考えながらしばらくあたりをパトロールしたがやっぱりいない。
結論として考えられるのは、
①実は元気で走って帰った
②本気でヤバイことに絡んでて車でさらわれた
③ちょうど良くタクシーが来た
④新しい妖怪
とりあえず②でないことを祈りながら、③だったらちょっとイラつくなーコレっぽいけど。
とりあえず④であったテイストにして知り合いに話そう。
先日の釣行。
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裏丹沢にて自分の巻いたフライで初めてヤマメが釣れました。
「山女」という名前はよくぞ名付けたってくらいふさわしい名前だなと思います。美しい。
お昼はtetete’s キッチンならぬ、来たる遠征に向けての炊き出し練習。
もっとサバイバル的なものを想像していたんだけど、優雅なランチになりました。
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そういえば、すっかりこのブログも僕だけのプライベート空間になってしまいましたが、
アサヒナ君はFacebookやってるっていうし、カワジリ君はTwitterをやっているそうです。
しかも僕は二人からアカウントを教えてもらってません。どうなってんだっ!おーい!
GWが終わってもウィークデー頑張りましょう。

ウイ

今日、モス気分。だった

mos許されるならば、このモスバーガー都立大店で「チクショオオオー!」とフリーザ様のように叫びたかった。
今日は雨の日曜日。一日中部屋でゴロゴロしていたい。
仕事柄かこの時期はとにかく忙しく先週なんて自宅に15分も居れない日が2日あった。やっと迎えた日曜日。今日は「運命の人」を見る以外なにも用事を入れたくなかったのだが、こういう日に限って出掛けなければならなかった。
電車に10分ほど乗って自由が丘まで行けば事足りる用事なのだが、どうにも腰が重い。「日曜の自由が丘ヤダナー」「そもそも何が自由が丘だよーばかやろー」とかウダウダしてるうちに夕方になりタイムリミットが迫る。埒があかないので、動機を切り替えることにした。『行かなきゃ』じゃなくて『行きたい』にしよう。
ここはひとつ、前から食べたいと思っていたモスバーガーの「サーモンカツバーガー」を食べに行くイベントにしよう!とひらめき、自分を奮い立たせ家を出る。自由が丘で所用も終え、サーモンカツバーガーを食べにモスに向かう。しかし、あるべきはずの場所にモスがない。いつのまにか美容院になっていた。
自分はッサーモンカツバーガーをッ食べるためにッ日曜の雨の中を出てきたのでありますからーッ、諦めるわけにはいきません!全うさせてください!と軍人風につぶやき電車に飛び乗り都立大モスへ。
よし、都立大店はなくなってない。そうである。そんなにチョコチョコ出てきたり居なくなられたりしては困る。モグラ叩きじゃないんだからねー、とレジでサーモンカツバーガーを注文。
すると「そちらは数量限定で、終わっちゃいました」とのこと。ノーノーノーッ!
目黒まで行くか!?いやだめだ「運命の人」に間に合わなくなる!両方失うわけにはいかん!溜め息混じりに普通のハンバーガーを注文し、席について自分は一体何をやってるんだろうと思った。いい歳して、サーモンカツバーガーとテレビドラマに翻弄される人生。そして明日からまたバカ忙しいなぁと思うと、ハンバーガーを持つ手すら重く感じた。
しかしだ!3月を迎えた。渓流の解禁シーズンである。
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昨年の奥日光への釣行では、極寒の暗闇を歩き続ける羽目になって死の危険を感じたりしたが素晴らしい景観の中で釣りができた。また、職場の後輩に誘われ夜釣りに行けば、都市伝説だと思っていた多摩川シーバスに会うこともできたし、01
タクロー氏とは今年も多摩川でこんな↓ゆるーい釣りもやるだろう。
今年もいまだ見たことのない自然の風景と魚にたくさん出会いたいと思う。
 
とにかく釣行は釣り以外のエトセトラが多い。今年も日本各地へ赴く予定なので色々ありそうだ。
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←この写真は額に入れてもいいなと思うくらい美しい山女の写真。tetete氏のブログから拝借してきた(釣ったのはtetete氏)
一昨年、留萌川でシャケを釣りそうになった記憶が蘇る。
モスバーガーが俺にシャケを出せないというのなら、それもよかろうホトトギス。
自分からとりに行くだけだ!
ウイ

keep the ズッコケ

FH000006成増駅PM8:30。
目の前には幼なじみ6人の顔がある。うーむ不思議な光景だ。久しぶりに会ったかと思えばいきなり無茶苦茶な企画の説明。
「いまからSにドッキリを仕掛けるぞ」
「Sはこの駅を利用しているらしい。帰宅時間は21時くらいだろう。よし捕まえるぞ」といった、恐ろしくアバウトな作戦。
「顔を隠せ」とマスクを渡され、いい年した男7~8人が改札前に並ぶ。
結果Sは現れなかったものの2時間ほど小学生のような遊びをして、本来の目的ぽかった居酒屋へ。
よくよく考えれば9歳やそこらで会ってから20年“よくもまぁ”である。
20年もの間、それぞれ色々あっただろうし、もうお父さんになっているやつも半分くらいいるというのにお互いの“あんまし変わってない”感を全員が揶揄しあいながら爆笑していた。
その後、友達の一軒家で雑魚寝。おじさんの合宿みたいになっていたので傍目には結構悲惨な光景だったろう。
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次の日は車で都内観光。岩手の片田舎の駄菓子屋でつるんでいた連中が揃って銀座4丁目の交差点を渡る。あの頃は誰が想像しただろう。人生って不思議だなぁとつくづく笑ってしまった。
二重橋前で僕だけ降ろしてもらって、またしばらくのお別れ。
若干寂しいのと、今度はまたみんな元気で会えるだろうかとか思いつつ、
冬の二重橋前で幼馴染を見送るのはなんだか趣があった。
時間は経つんだなぁ、と皇居周りをトボトボ散歩しつつ帰宅。
楽しいのに懐かしくて若干寂しい不思議な週末だった。
この連中だけでバンドを組んだらきっとこんな感じだろうな。フガジッ!最高!

ちなみに上の写真の中にはゲストが一人いて、いまママチャリで日本を縦断中です。
ママチャリで冬の北海道からスタートを切るなんて、、狂気の沙汰ですね。とにかく死なないで!そろそろ東海地方に突入するものかと、見かけた方はぜひ応援してあげてください!
『ママチャリセブン』
最近我々venetit haasは嬉しいオファーを頂き、曲作りに没頭しています。
僕らもなんだかんだと歳月を重ねてきて「長いことやってると何が起こるか分からんねぇ」としみじみ。今年もなにかしら残るものを作りたいやねぇ、と話しております。
とか書いてたら雪が積もってきた!なんだか、オツだねぇ。
ウイ

ラーララ、ラララー、ラーララララー、オレとお前と大吾朗。

FH000020小学生の頃に毎日一緒に登下校していたS君から新年早々、一通のあけましておめでとうメールが届いた。動画が添付されており、それを再生して一日中笑う。
岩手県の北上市というところに「アピア」というスーパーマーケットがある。
もう20年ほど営業を続けてると思うが、開業当時は田舎に出来た大型スーパーとして斬新な存在であった。様々な店舗が入っており、いつも地元の人でにぎわう華やかなスーパーなのである。
僕らはそこで日常的に【大五郎】という行為を繰り返していた。この【大五郎】とは、下校途中の道のりを少しでも短くするため「アピア」の敷地内を駆け抜けてしまおうという作戦の名称であった。
いまとなってはスーパーマーケットの敷地内を小学生2人が駆け抜けていく風景を目にしたって、なんでもないことに映るだろう。しかし当時の僕たちにとってそれは大胆不敵にして禁断の技であり、リスクを伴う冒険でもあった。いわゆる「危ない橋を渡っちゃうゼ!」的な行為だったわけである。
「Sちゃん今日大五郎する?」「、、やるか。」「大丈夫かなぁ」とお互い息を潜めてアピアに向かう「せーの」でランドセルを背負いながらガッシャンガッシャン全力疾走。駆け抜けたあとは「ふー、危なかったゼ」「やばかったね~」などと、いま思うと「?」な行為をしばらく繰り返していた。
その後も「アピア」においては、試食コーナーでカニを食べまくり、おばちゃんに追っかけられたり、エレベーターの”閉ボタン”を押し続け、その中で寝そべりながら買ったお菓子を食べるという【カルカッタ】という非常識極まりない作戦も実行され、店員さんに怒られたり、ときには担任に殴られながら僕らは少しずつ大人になっていった、はずだった。
FH000013が、昨日年賀メールに添付されてきたのは、もうすぐ30歳を迎えるS君が「アピア」の敷地内を「やばいよ~」と言いながら駆け抜ける動画であった。これが笑わないわけがない。久しぶりに見た「アピア」は「JOIS」に名前を変えて、お店の見た目も少し変わっていたけれど、ずっと続いていって欲しいなと思った。それと当時どういういきさつで【大五朗】という作戦名になったかのかもう記憶はないけど、協和発酵の焼酎「大吾朗」のCMのフルPVを発見し歌詞を聴いていると、いまの心情とリンクするというのは不思議な巡り合わせだなと思う。
最近、東北の商業施設の再興に関わる仕事を担当することになったけど「アピア」にかけた迷惑や授かった恩恵を鑑みると、もうこれは本気で身を捧げて貢献しなくてはいけないなと思った。
S君は去年結婚し、子供も生まれた。また、9歳からスパルタで釣りを教えてくれたK池からは「今年はウチに泊まりに来い。一緒に渓流に行こう」との年賀メール。もう3人のお父さんとのこと、にぎやかだろうなぁ。
一歳半ばになる姪っ子の行動を見ていても子供の行動は超絶に面白い。
IMG_0694義兄さん撮影。
大事な友達がたくさん出来るといいね。
順番が逆ですが、
2012年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。皆様のご多幸を!
ウイ

2011年を振り返る

429b163b.png在来線から見る東北の景色。
今年ほど「エッ?もう年末なの?」と驚いた年はない。
歴史に刻まれるような天災があり、著名な人物も多く亡くなった。
時代の切り替わりを意識せざるを得ないとともに、実は歴史はいま現在も刻まれていて自分もその時流のなかに身をおいて生活しているのだなぁと実感。
あーしかし本当に色々あった「歳を取るにつれ一年が短く感じるようになる」という説に大いに納得していた自分だけど、今年に限っては半年前が3~4年前のことに思える。夏前に思い立って行動を起こしたのはいいけど、当然思い通りに出来ることなんて殆どなくて、自分の力量というものを痛切に思い知った。とにかく勉強せねばと土日に図書館に通ったりしたものの一つの分野を体系付けて学んでいくのには、それ相当の時間がかかるものだなと実感。本当に「経験に勝る知識なし」でヤキモキする日々だった。
そんなこんなで激しい浮き沈みを繰り返しつつ、ようやく一人で出来ることが増えてきて、最近はもっぱら東北への出張。被災地近くの商業施設の仕事に携る機会を得た。半年以上もかけてやっとキッカケに辿り着けたような気がした。
ガタガタになった建物や一度水に浸かった書類、がらんどうの施設内を見たときには堪えるものがあったけど、先方の快活さとやる気を見て、頑張ろうと本気で思った。
岩手に帰省することがなくなって三年近く。久しぶりに東京駅の23番ホームに立つと、やはり自分は岩手を心の拠り所にしている部分が大きいなと思った。今年はたくさん行こうと思う。
帰りに宇都宮に寄って姉夫婦の姪っ子と遊ぶ。
あんなちっこい手とか足でよくもまぁ動き回れるものだなぁと関心。
どうやったら笑うかな~と考えつつも泣かれたら困るのでそーっと接する。
さすがに姉夫婦は姪っ子のキャッキャ喜ぶ遊びやギャクをたくさん身に付けていて、日々あの笑顔をゲットできるなんて、うらやましいなーと思った。
まだ若干警戒されている自分は、いつか捨て身の一発ギャグを開発してでもこの子の笑顔を勝ち取りたいと思った。
それと、もう今日ですが、23日金曜は渋谷でライブです。新しい曲もやります。
残念ながらチェインソウズとは最後の競演になると思いますが、いいライブになると思います。お時間あれば是非。

ウイ