今年はしっかりと存在感のある梅雨でしたね。
先日は梅雨空のなかライブを観に来てくださった方々ありがとうございました。当日は久しぶりにメンバーで下北沢をブラついてなんだか懐かしい感じもあり、帰りがけみんなで三ツ矢堂製麺に行ったら飛び入りゲストの参加もあって、非常に楽しい一日でした。
いよいよ夏です。
今年はフロアタムを鳴らしていくかのように夏が迫ってきています。
6月中旬、タクロー氏に誘われ唐組を観に行った日から夏が始まった気がする。
花園神社の決して広いとはいえない境内にやっとこさ300人程入れる赤いテントをはり、御座の上で演劇を見る。知る人ぞ知る赤テント公演である(僕は知りませんでした)
演目は「百人町」とのことで、その名が示す通りなかなかアクの強い個性的な脚本だったけど、流石だなと思ったのが内容の得手、不得手に関係なく目を離させない演じぶり。帰り道「そういえば終始舞台から目を離せなかったなぁ」と思い返して一人納得してました。
ラストは常連さんにはお馴染みの展開のようだったが、初めて観る自分としては「お見事!」の一言。かなりオススメである。
W杯開催中は、家に帰っては試合を見ながらネイチャークラフトに勤しむという幸せな日々であった。結婚式のウェルカムボードを依頼されていて、昼休みは近所の花屋、休日はユザワヤへといろいろ素材を物色。工作って本当に至福のひとときである。
白くて繊維っぽい天然素材が欲しかったので「うむ、パピルスとかその辺かな」と見当をつける。この時点で既に間違ってるんだけど、店員さんに欲しい素材のイメージを伝える際に「古代エジプトとかで使ってたヤツです」と時空超越&ちんぷんかんぷんな説明。にもかかわらず「どこにでも置いてますよね感」を出していった自分に力強さを感じた。
結局僕が欲しかったのは乾燥させた葦草だったのだけど、古代エジプトというキーワードから葦草の提案に辿り着いた店員さんの勘の良さには拍手を送りたい。
で。
結婚式にあやかって軽井沢デビューしてきました。
良き理解者であり恩人である先輩の結婚式であるからして、破竹の勢いでお祝いしてやろうとかなり意気込んでいたのですが、完全にお祝い返り討ちに遭ってしまいましたね。
初夏の軽井沢の別荘地にホテル付きご招待。
森林の中に佇む洋館の中で執事みたいな人に「ウイ様ですね、こちらにどうぞ」と案内され、間髪入れずウェルカムシャンパンを振舞われる。緊張しながら味も分からずシャンパンを飲み、素敵な部屋に案内されたと思ったら「こちらにお泊まりください」と、ちょっとタンマタンマ状態である。一緒に行ったFさんと部屋の至る所を開けたり閉めたりして「Oh~ぅ」と唸ってしまった。とにかくこんなに高待遇にされてしまっては元の生活に戻るのが一苦労だ。
披露宴はアットホームに行われ素敵な時間でした。結婚式っていうのはやっぱ人柄なんだよなぁと納得。
かくして、お祝いに行ったはずが、一族皆様に感謝の言葉を頂き、さらには親族の方からお土産まで頂いて両手一杯のお土産と共に帰京。東京駅のホームでうーむ、、となんだか自分の不甲斐なさを感じました。
お土産に頂いた山形のさくらんぼ。非常に高級な味がする。今日までさくらんぼとちゃんと向かい合うことなく生きてきたが、改めて褒めたい。
厳しい自然界にありながら、外敵(?)をも恐れぬこんなに可愛らしいフォルム。
しかし、その見た目とは裏腹に屈強な種をその身に包む力強さ。
だけどやっぱり一口サイズでみんな(鳥とかリスとか含む)に幸せを運ぶ懐の深さ。
献身的とさえ言えるその在り方には、ある種の完成された美を感じざるを得ない。
「健気」という言葉があるが、語源は「さくらんぼ」なのではなかろうかと思う。仕組み的にそれはないだろうけど。
大塚愛があ~たしさくらんぼ~♪とかなんとか歌っているが
「お前は断じてさくらんぼではない、さくらんぼとはもっと崇高なものだ」と腕組みして言いたい。
そんな夏の始まり。
ウイ
蒲田。後身。曲
蒲田。
多摩川沿いに引越してそろそろ1年経つが、割と近所なのでたまに足を運ぶようになった。役所があるし、羽田に行く時も京急蒲田まで街を突っ切って歩くのがなんとなく好きだ。あとユザワヤね。
実は蒲田という街、上京したての頃によく来ていた。もうおよそ10年ほど前になる。
当時、共に新聞奨学生という立場であり、数少ない友人であった同郷のD君は蒲田に配属されていた。板橋区に配属されていた僕は、お互いの休日を見つけては東十条から京浜東北線に乗ってしばしば足を運んだものである。
板橋の平屋ばかりの静かなエリアに住んでいた僕は蒲田という街に得体の知れぬ羨望のようなものがあった。雑多で店が多く、華やかな喧騒、繁華街。休みの日に友達と出かける街は楽しく、僕の東京観にはかなり良い形で蒲田のイメージが植え付けられていった。
まぁ要するに蒲田って超イケてるじゃん!イエッTOKYO!と思っていたのである。
D君と僕は正真正銘の田舎者で、また共にギター弾きであるという危険な要素をたくさん内包していた。新大久保の楽器屋で、ドでかいマーシャルのスタックアンプを購入し、ウントコドッコイショと山手線へ担ぎ込む、昼間とはいえそれなりの混雑のなか、スタックアンプを電車で蒲田へ運ぶという行い。
また、19歳のくせにバーボンロードをうろつき「酒でも飲むか、バランタインのロックがいいねぇ」とか、もう完全にバランタインって言いたいだけでした。
その後もしばらく、蒲田は僕のカルチャースクールでしたが、とにかくいま思い出すと赤面したくなるような思い出が一杯詰まった街なワケです。
久しぶりに帰省したときに、両親が都会暮らしは慣れたか?と聞いてきたので、若干得意気味に「楽勝よ、最近はよく蒲田で遊んでいる」というと、かなり怪訝な顔をされ「蒲田行進曲の蒲田か?」と確認後「はぁぁ」と大きな溜め息をつかれたのが思い出深い。
まぁ、もし僕がいま女の子の父親だったして、娘に『蒲田で遊びまくってるよ!』とか言われたらガクッと膝から崩れ落ちてしまいそうであるから、妥当な反応だろう。
そんなこんなで年月が経って、蒲田という街が一般的にどのように認識されている街かを知っていったのだけど、いま再び近くで暮らすようになってたまに出掛けても、やっぱなんか好きなのである。
昔はユザワヤについて、手芸の店だと知ったとき「ふん、なーんだ、あんなにでかい必要あんのかよ!」と尖った考え方をしていたのに、今となってはクラフト素材のため足しげく通って、店員さんにあれはないか、これはないかと品揃えについていろいろ質問し、ユザワヤ友の会にも入っている始末だし。
19歳の頃は粋がって「おい早く酒を飲もうぜD君!」と肩で風を切って歩いていたが、今では駅構内のプチ鯛焼きを買って帰るのが楽しみという、なんとも、人も変われば変わるもんだな、と思う。
ちなみにプチ鯛焼きは16個(500円)からしか買えない。あんこ、チョコ、レアチーズ、キャラメル、カスタード、プレーンなど、これらをいかに16で割るかは、非常にセンスの問われるシチュエーションであり、いまだ完全に自分に納得のいった買い方は出来ていない。いち早い黄金率の発見が望まれる。
蒲田について書いたのは、D君が田舎に帰ることを決めたとの理由でして、寂しい。
今度蒲田に行った際には、彼がこよなく愛し、ことあるごとに一緒に行こうと言っていたレバニラ定食の名店を訪れようと思う。(僕はレバニラが苦手で一緒に行きたがらなかったので店名、所在地不明)
およそ9年、全く近寄らなかった街、蒲田。
いま再びそこに舞い戻り、私は試されるのだ、、と締めます。
当時蒲田でよく聞いていた曲↓
ウイ