人生はスポーツだ。

今日、日帰り出張で横須賀方面から帰路を急ぐ、。本当はダメだけど、仕事中にどうしても済ませなくてはならないことがあった。バーコードの申請だ。平日の9時から5時15分までしか受け付けてくれない。今日を逃せば週をまたぐことになる。
長い時間かけて作ってきたものにこんなことでケチを付けるわけには行かない。
しかし15号線は大渋滞。
現在地から申請窓口の商工会議所までおよそ1.0キロメートル。窓口が閉まるまであと5分程しかない、。ダメだこのままでは間に合わない。
目に留まったコインパーキングに車を投げ込むように停め。走った。
おそらく8年ぶりに全力で走った。
川崎の街を尋常ではない様子で走った。最短距離で目的地にたどり着くため広大なロータリーを突っ切る。バスのクラクションが鳴り、交通整備のおじさんが僕を制止するためなのか向かってくるのが視界に入った、が残念ながら追い付けまい。
僕はあと500メートルは全力疾走である。
申し訳ないと思いつつも、残された時間はわずかなので、手ですみませんと合図をして颯爽とその場を後にする。
むしろ行く手を阻むのは生垣の壁、もうヤケクソじゃーと心の中で叫びながら。生け垣を飛び越え歩道へ飛び出る。
周囲の人はありえない場所から人が飛び出してきて、必死の形相で走る姿に、警察かなんかに追われているんじゃなかろうか。と思ったかもしれない。
が、むしろ逆に僕は割と公的な機関に向かっていて、割と公的な手続きを遵守するために走っているのであった。
汗だくでぜーぜーしながらどうにか窓口に到着。
受付のおじさんは「そんなに急がなくても、私らも残業ありますから、電話してくれれば待ってましたよ」と。
そう。いつもの自分ならなんだー電話をすれば良かったじゃないか、オレってつくづくバカだなぁ。と思っただろうが、今日は違った。
人でごった返す川崎駅前の混雑を尻目に、広範囲におよぶ「入っちゃだめゾーン」を突っ切ったのが非常に清々しかったのである。短い時間ではあったが、走ってる間は想像以上に心が躍動した。でも交通整備のおじさん、すみませんでした。
最近はランニングブームだとかで、非常にいい事だと思います。
大人になるにつれ走る機会は減っていきますからね。日々の鍛錬が大事です。
ちなみに8年前に全力疾走したのは御茶ノ水界隈。
志望大学の受験に遅刻して40分遅れで国語を受験。
ゼーゼー言いながら、古文の変格活用を思い出してました。
汗だくで「ぬ、ぬる、ぬれ」とか、もう変態の域ですね。
9年前は歌舞伎町。これはまたのお話。
今日を機会に少し走りこみをしようと思った。川沿いを。
写真は「入っちゃだめっぽいゾーンに入る猫」
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ウイ

英語で喋らナイト・オブ・フォーエバー

12f48360.jpg題名は意味不明でしょうが、今頃カワジリ氏だけニヤッと笑ってくれていると信じています。
ということで、最近、英語を勉強しようと割と本気で考えている。いままでも「ヨシッ英語だ!」という決意は幾度となくあった。でも今回は身近に英語喋れる人が多くなってきて、ジワリジワリと必要性を感じてきたので割と長丁場な勉強になりそうな気がする。そろそろ本気出せ自分!いや、むしろ本気が出ろ!
ここでひとつ僕の英語に関するエピソードを。
実は、僕には20歳の頃、シアトルに留学する話があった。
こう書くとちょっとばかしカッコいい気もするのだが、その内情はいま思い出してみるとぶっ飛びそうなほど面白い。
事の発端は休日の銀座。
当時、東京に来たばかり、共に上京してきた幼馴染のH君と銀座に繰り出した。
右も左も分からない田舎から来た貧乏学生2人が銀座に行ったって何もやることがない。フラリフラリと華やかな場所から遠ざかりつつ、結局僕らはマックに入った。
もう本格的にやることがないので、遊びを考案することになり「電波少年のナスビの真似しよう!」と閃いて、すぐに懸賞雑誌とハガキを買って応募し始めた。
もう、銀座に遊びにいってマックに入り懸賞応募のため、一心不乱にハガキを書くとか正気の沙汰じゃないですね。
結局、何通かのハガキを書いて僕らの銀座観光は終了。帰り方も満足に分からなかったので新宿行きのバスを見つけて乗り込んだ。
(余談だがこの日の帰りの新宿までのバスから見る都会の風景がいまだに目に焼きついている。また、それから数年後、銀座に勤め始めて分かったのだがアレは築地のマックであった)
そして何日かすると、なんと僕に一通当選のお知らせが届いたのである!その内容はこんなものであった。
「おめでとうございます!あなたはシアトルへの留学プログラム権を獲得いたしました!」
当時も破格のバカだった僕は、なんてラッキーなんだろうと小躍りしてしまいそうなほど興奮した。「シアトルか、、カートコバーンではないか、、やはりそうか、お導きか、。」とロクにグランジも聴いていないくせに誇大な妄想もしたりした。
まぁ、いわゆる「留学商法」に見事に引っかかっていたのですね。でも、話はここで終わらない。この留学商法結構手が込んでいて、当選者に一度試験を受けさせるのである。外国人と40分間の会話テストを実施し、留学できるレベルかどうかを判断するといったものだった。
それまで外国人と1分だってまともに喋ったことがないのに、、いきなり40分!?と戸惑いもあったが、若さというのは恐ろしいもので、僕は割と意気揚々と試験会場へ向かった。
そこは高田馬場の雑居ビルの一室。
綺麗なお姉さんに案内されて、パーティションで仕切られた個室に入ると紛うことなき100%外国人が僕を待っていた。「うおーいきなりかよー!」と叫びだしたい気持ちもあったが、冷静に努めとりあえず英語で自己紹介。
いろいろ質問をされつつテストが始まった。
頭の中は「あっ、過去完了で話さなきゃ!」とか「haveじゃなくてhavingだったか!?」とか完全に受験生の脳みそで、会話など程遠いものであった。
だが、いま思うと、最初から100点をもらえるテストだったのだろう。20分ほど経つと「ベリーグッド」「ノープロブレム!」と言われ、これ以上のテストは必要ないと太鼓判を押していただいた。40分のはずなのに半分以下の時間で僕の英語力は外国生活でも問題ないと判定されたわけである。
もう、安堵感で一杯の僕は出されたコーヒーを飲みつつ「でもシアトルに行ったらこの連続だ!頑張れオレ!」みたいな気持ちであった。もう心は勝手にシアトルに行ってしまっていたのである。救いようがない。
帰りの山手線では留学の手引きみたいなパンフレットを片手に、世界へ羽ばたく自分を想像しながらニヤーっとしていたと思う。
次の日、両親に決意を知らせるため、パンフレットに目を通していたら、僕が当選したのは250万円かかる留学費用が150万円になる権利だったようで、。
100万円も得だー!ヤッター!ということで僕の留学話は即座に立ち消えましたとさ、チャンチャン。
以上。英語を勉強する際は、過去完了の他にも気を付けないといけないことがたくさんあるってことです。
ウイ

水色の街

川をわたーるーということで、新しい町に引っ越してきて2週間程経った。
梶ヶ谷 朝引っ越しの日。レンタカーでワンボックスを借りて家具一式を詰め込む。2往復ほどで済むかなと考えていたけど、すべて一度に詰め込めてしまった。己の身軽さを痛感。
結局気付けば8年も過ごした部屋は長く居すぎたせいか色々なことが当たり前になりすぎて、出るのが躊躇われた。学生の頃から様々な困難に直面しつつも、まぁ誰にも頼らずやっていけるではないかということを学んだ場所である。万感の思いがあった。
思えばこのバンドを始めたのもあの部屋であって、venetit haasのモチーフ的に使っているアンテナも実はあの部屋からの景色の写真だったりする。
tetete氏と大阪からキクタケが手伝いに来てくれて、あっという間に引っ越しは終了。
せっかく車も借りたことだし家具を一新しようと港北のIKEAへ。
MA330093画像-0025コーヒーテーブルやらキッチンまわりの小物やらをまとめて購入。カーテンもめちゃくちゃ安かったので興奮気味に購入するも、レールの種類が違っていて帰ってから取り付けられないことが発覚。まぁ大体僕が「やってやったぜ」と思うときは大きな落とし穴にはまっているときなので、やっぱりかーと思う部分のほうが大きい。
ぬか喜び、取り越し苦労、骨折り損などに関連することは是非ご相談いただきたい。それでも欲しかったソファも手に入れ、したり顔で過ごすのだ。
IMG_2655引っ越しの日は炎天下の中とにかく動き回り、非常に思い出深い日になった。結局朝まで付き合わせたキクタケには改めて感謝しよう。あと皆さん引っ越し祝いありがとうございました。
新しく住み始めた町は、川沿いで下町っぽい雰囲気を残している場所。
閑静すぎるところではあるけど、何かと便利になった点が多いと思う。
少し歩くとなんとジャスコがあるのだ、、まさか都内にジャスコがあるとは、地方出身者である自分にとってはなんとなくホッとしてしまう店だ。何を買うわけでもなく店内をブラブラしていると衝撃の看板を発見、。そんなバカなとのけぞってしまった。
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全国の青少年に語りかけたい。
君達の母親が勝手に服を買ってくる現象はやはり致し方ないことなのだよ。ジャスコが止まらない限りその戦いは果てしなく続くのだ、。
新しい生活では心機一転、自分で料理をしていこうと、半ば憧れに近い決心をしていたのだが、それすらもはや打ち消されそうである。
それもやはりジャスコのせいであるのだが、お惣菜コーナーに立ち寄ると、半額のシールを貼られた後にさらに20%引きのシールが貼られた惣菜の数々。
僕がもし惣菜の立場なら自暴自棄になりかねない仕打ちだ。
あのねージャスコさん、もう少し考えて作りなさいよー、と思いつつカゴに入れる生活が続いている。
最近、音源製作に必要な機能を満たすためPCを改造した。
まさかPCのパーツ専門ショップに行って裸の基盤を買い、PCを改造するとは、。
なんとなく一線を越えてしまった感じがした。
IMG_2633ということで、我々はただいまミックス作業の真っ只中であります。引っ越して早々に近隣の方々に迷惑をかけないようメンバーで毛布やらダンボールやらで防音措置をとりながら、あーでもないこーでもないと作業中です。具体的な完成日時はまだ決まっておりませんが、楽しみにしていただければ幸いです。
今日は飼っていた猫の命日。
引っ越してきた場所ではまだあまり猫をみかけないのが気がかりだが、とにかくのんびり馴染んでいこうと思う。
以上、1ヶ月分。
はい次カワジリさんです。
ウイ

釣りに行ってる場合だ

先日仕事の打ち合わせ中、釣りの話になった。
それから毎日釣りのことばかり考えている。そして先日釣具屋へ。
自分でも驚くほど心が躍動する。気付けば一式揃えてレジに向かっていた。
しかし釣具はなぜこんなにエレガントなのでしょう、。中学生の頃から苦楽を共にしてきた「ミノー」2
ある日、水底に引っかかってしまって泣く泣く糸を切ったが、やっぱりあきらめきれなくて、服を脱いで池の中にまで救出に行った愛すべき「ミノー」
もう、針がついてるけど食べちゃいたいくらいカワイイ。
しばらくブランクが空いたが今年の夏は釣り三昧と思うと、終始ニヤニヤしてしまう。
昨日は近所の盆踊り大会を見物に。
近所の小中学生達が各々グループを作って忙しそうに騒いでいる。この日ばかりは、男の子は全員出来るだけ不良っぽく振る舞い、出来るだけ派手な音のする花火を買い込み、気になるあの子の目に留まるよう騒ぎ立てる。女の子は浴衣を着てウフフ、ウフフとあっちいったりこっちいったりと浮き足立つ。
そんな光景を見て懐かしいなぁと思ってしまうの僕だけではないはずである。きっと全国的な通過儀礼なのだろう。こんなにも夏を感じさせる風物詩もそうない。
恋だねぇ夏だねぇとつぶやきながら少年たちの打ち上げるロケット花火をボケーっと見るともなく眺めた。
最初は派手な音でヒューッと打ちあがるも、すぐにパンッと拍子抜けするような音と共に空に散るのをみていて、うーむまさに恋だな。と納得して家路についた。
お世話になっている方のパーティーにお呼ばれして吉祥寺へ。
夕暮れ時のバルコニーで町並みを見下ろしながら馴染みの友人とテーブルを挟んで話す。こんな贅沢もなかなかなかろう。バルコニーという名前もアイロニーやフィロソフィーの仲間っぽくないわけではない。
友人の子供にはらぺこあおむしグッズをまとめてあげようといろいろ買い漁っていたら、いつの間にか自分でも夢中になっていて、問い合せた新潟の雑貨屋と電話でもめた。恥ずかしく思う。
一ヶ月ほど咳が止まらなく、病院へ足しげく通った。
「症状が進まないとなんとも言えませんねぇ」という先生の言葉に不安を抱えながら、溜息と咳交じりの日々であったが、いつの間にか回復の兆しが見えてきて、なんとなく申し訳ない気分だ。
最近、自身に周期的に起こる「本を読みたい時期」に突入していて、結構なペースで読んでいる。読みたい本も大体読んでしまい、でも新しい作家を探すのになんとなく躊躇いを感じていたのでtetete氏になんか読むもの貸してくれと催促。
「じゃあ宇井さんって人出てくるから、これどうぞ」と中島らもの「永遠も半ばを過ぎて」を貸してもらった。中島らもは「今夜すべてのバーで」とエッセイ一冊くらいしか読んでなかったのだが、この一冊を読んでだいぶ見方が変わった。
内容云々はさておき、これは一冊所有したいと思わせる本であった。
というわけで黒いハードカバー版を持っている人がいたら割と高値でもいいので譲ってください。見かけた人は教えてください。お礼します。
一昨日はバンドで先輩をお祝いするため横浜へ。
ウチのバンドメンバーで横浜をプラつくという行為に非常に新鮮なものを感じた。
↓は盟友でもあるスプーン
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ウイ

メマグルシイ日々

FH000024ブログを書かなくても日々は着々と過ぎるもので、この2ヶ月近くはいろいろなことがあって、だいぶ時間が経ったような気がします。
そろそろ夏だし髪も短くしようと思い、また自分で髪切ってハゲを2カ所こしらえた。
新作が話題の村上春樹的に書くなら
「リトル・ピープルがおこっている」
「それはつまり、僕の側頭部の頭髪は損なわれてしまったということ?」
ふかえりは肯いた。
といったところだろう、とにかくリトル・ピープルが何にでも使えて、最近僕は一人でフフと笑っていることが多い。
今回のは単純に読みやすくて面白いなと思います。今までともまた違った感じですね。
先週、日本橋に打ち合わせで赴いたとき、やっぱこのあたりなんか好きだなぁと思った。東京駅の近くは独特の浮遊感を感じる。
僕が浮ついてるだけかもしれないけど。個人的に何かと思い出深いことが多い土地なので、歩くだけで楽しい。打ち合わせもインテリア関係の仕事の話で、非常に楽しみなものになった。
インテリアといえば、先日先輩の知り合いがニ子玉にカフェを開いたのでオープン記念にお邪魔した際、僕が買おうと思っているソファがこれでもかとたくさん並べてあり、素敵ですねーと言ったところ「本当はコレじゃないのが欲しかったんですけどね、仕方なく、、。」と言われ、ヴッと詰まってしまった。小谷美紗子さんがそばにいれば「ここで余るものがどこかでは足りない」と歌ってくれたであろう。
最近はとにかく生活のリズムがメチャクチャで寝れない日々が続いている。まぁリズムはそもそもないけど。朝方までレコーダーやパソコンとにらめっこして、寝てしまうと仕事にいけないのでそのままファミレスへ。というのが週に3日ほど。
店員のおばちゃんとすっかり仲良くなってしまった。
モーニングを注文をするとサービスでお配りしていますと新聞を手渡された。フレッシュマンキャンペーンと銘打って、若者に新聞をあげちゃう企画のようで、新聞の良さを再認識してよねウッフン的な作戦と思われるのだが、それほど若者の新聞離れが深刻なのだろう。とりあえず僕をフレッシュマン扱いしてくれるおばちゃんには非常に感謝する。
ただ僕は新聞を手にするとなんとなく脳裏によぎることが多く、集中して新聞を読めることがまずない。
僕は19歳の時、板橋区で一年間新聞配達をしていた。いわゆる新聞奨学生というやつで
朝3時半に起床し7時くらいまで仕事
8時通学
授業を途中で切り上げ夕方から配達
夜まで勧誘の営業
24時まで勉強して就寝
朝3時半起床
といった生活が一年近く続いた。
一生のうちであれほど思い出に残る一年はないんではないかなと今でも思う。
4畳半の冷暖房もない部屋(部屋と呼べるかも怪しい)で、とにかく孤独であったと言える。体はいつも限界、一方感情はいつもどこかのベクトルに振り切れてしまいそうな状態。暴力、罵倒、気絶、入院、警察などなどそれはもう陰惨で、しかし力強い日々でした。とにかく衝撃の連続でいろんなことがあったけど、書く気もしないので詳細は省く。まぁとにかく自分にとって特別な時期であったのです。
その後、受験シーズンには世田谷に引っ越したのだけれど、実はそれ以来、僕は板橋区には近寄っていない。それどころか、電車や車で通過するのも意識的に避けているくらいだ。自身にとってある種の聖域なのか、簡単に引き出したくはない記憶であり、簡単に再訪して「懐かしー」とはいえない部類のものであることは確かなのだ。ただ同時に僕が一番大事にしている思い出でもある。
とにかく、僕が言いたいのは、ここしばらく精神的に安寧な日々を過ごしているようで、自身に対してなんとなく退屈しているのだということ。「青春ほど死の翳を負っているものはない」という坂口安吾の言葉しかり、死の翳とまで言わないにせよ、何かしら極端な状況というのは、残るものだと思う。それが良い悪いは別として、ただ漫然と通過していく生活とは一線を画すという意味で。
同時に子供じみた考えを述べるなら、僕は何かしら残らなきゃ嫌なのである。
久しぶりにブログでも書こうと思って随分と長い文章を書きましたが、自分の考えていることをそのまま書ける訳でもないので、ブログを書くのはしばらくお休みかなぁとも思います。いざ書くとなんか大仰でいけませんね。
先日、誕生日を迎えたのだけれど、食事をごちそうになったり様々贈り物を頂いたり。腕時計ももらってしまって、これまでほとんど付けなかったけど嬉しくてすっかり毎日つけています。この歳になっても友達に贈り物をもらえるとは、感慨深いものがあります。
ありがとうございました。
MA330071
メンバー誰も書かないけどレコーディングも着々と(のんびり)やってます。
ウイ