ブログを書かなくても日々は着々と過ぎるもので、この2ヶ月近くはいろいろなことがあって、だいぶ時間が経ったような気がします。
そろそろ夏だし髪も短くしようと思い、また自分で髪切ってハゲを2カ所こしらえた。
新作が話題の村上春樹的に書くなら
「リトル・ピープルがおこっている」
「それはつまり、僕の側頭部の頭髪は損なわれてしまったということ?」
ふかえりは肯いた。
といったところだろう、とにかくリトル・ピープルが何にでも使えて、最近僕は一人でフフと笑っていることが多い。
今回のは単純に読みやすくて面白いなと思います。今までともまた違った感じですね。
先週、日本橋に打ち合わせで赴いたとき、やっぱこのあたりなんか好きだなぁと思った。東京駅の近くは独特の浮遊感を感じる。
僕が浮ついてるだけかもしれないけど。個人的に何かと思い出深いことが多い土地なので、歩くだけで楽しい。打ち合わせもインテリア関係の仕事の話で、非常に楽しみなものになった。
インテリアといえば、先日先輩の知り合いがニ子玉にカフェを開いたのでオープン記念にお邪魔した際、僕が買おうと思っているソファがこれでもかとたくさん並べてあり、素敵ですねーと言ったところ「本当はコレじゃないのが欲しかったんですけどね、仕方なく、、。」と言われ、ヴッと詰まってしまった。小谷美紗子さんがそばにいれば「ここで余るものがどこかでは足りない」と歌ってくれたであろう。
最近はとにかく生活のリズムがメチャクチャで寝れない日々が続いている。まぁリズムはそもそもないけど。朝方までレコーダーやパソコンとにらめっこして、寝てしまうと仕事にいけないのでそのままファミレスへ。というのが週に3日ほど。
店員のおばちゃんとすっかり仲良くなってしまった。
モーニングを注文をするとサービスでお配りしていますと新聞を手渡された。フレッシュマンキャンペーンと銘打って、若者に新聞をあげちゃう企画のようで、新聞の良さを再認識してよねウッフン的な作戦と思われるのだが、それほど若者の新聞離れが深刻なのだろう。とりあえず僕をフレッシュマン扱いしてくれるおばちゃんには非常に感謝する。
ただ僕は新聞を手にするとなんとなく脳裏によぎることが多く、集中して新聞を読めることがまずない。
僕は19歳の時、板橋区で一年間新聞配達をしていた。いわゆる新聞奨学生というやつで
朝3時半に起床し7時くらいまで仕事
8時通学
授業を途中で切り上げ夕方から配達
夜まで勧誘の営業
24時まで勉強して就寝
朝3時半起床
といった生活が一年近く続いた。
一生のうちであれほど思い出に残る一年はないんではないかなと今でも思う。
4畳半の冷暖房もない部屋(部屋と呼べるかも怪しい)で、とにかく孤独であったと言える。体はいつも限界、一方感情はいつもどこかのベクトルに振り切れてしまいそうな状態。暴力、罵倒、気絶、入院、警察などなどそれはもう陰惨で、しかし力強い日々でした。とにかく衝撃の連続でいろんなことがあったけど、書く気もしないので詳細は省く。まぁとにかく自分にとって特別な時期であったのです。
その後、受験シーズンには世田谷に引っ越したのだけれど、実はそれ以来、僕は板橋区には近寄っていない。それどころか、電車や車で通過するのも意識的に避けているくらいだ。自身にとってある種の聖域なのか、簡単に引き出したくはない記憶であり、簡単に再訪して「懐かしー」とはいえない部類のものであることは確かなのだ。ただ同時に僕が一番大事にしている思い出でもある。
とにかく、僕が言いたいのは、ここしばらく精神的に安寧な日々を過ごしているようで、自身に対してなんとなく退屈しているのだということ。「青春ほど死の翳を負っているものはない」という坂口安吾の言葉しかり、死の翳とまで言わないにせよ、何かしら極端な状況というのは、残るものだと思う。それが良い悪いは別として、ただ漫然と通過していく生活とは一線を画すという意味で。
同時に子供じみた考えを述べるなら、僕は何かしら残らなきゃ嫌なのである。
久しぶりにブログでも書こうと思って随分と長い文章を書きましたが、自分の考えていることをそのまま書ける訳でもないので、ブログを書くのはしばらくお休みかなぁとも思います。いざ書くとなんか大仰でいけませんね。
先日、誕生日を迎えたのだけれど、食事をごちそうになったり様々贈り物を頂いたり。腕時計ももらってしまって、これまでほとんど付けなかったけど嬉しくてすっかり毎日つけています。この歳になっても友達に贈り物をもらえるとは、感慨深いものがあります。
ありがとうございました。
メンバー誰も書かないけどレコーディングも着々と(のんびり)やってます。
ウイ