悔しいというのが

FH000021震災以降、しばらく考えがまとまらない日々を過ごしていたように思う。「気もそぞろ」なのか「心ここにあらず」なのかどちらにせよ何事にも集中できないまま日常はただ忙しく、目の前の作業的なもの全般が、これは結局自分の生活のためだけのものなんじゃないかと考えてしまっては、やはり空しかった。
すぐに特別なことが出来るわけではなく、距離感に戸惑いながら苛立つ。
多くの人がそうなのだろうなと思った。被災者の人と違い何を奪われたわけでもないけど、ひどく気持ちが落ち込んだ。少なくとも、もっと自分の出来ることを増やしていかなければならないのが分かった。
10年近く暮らし育った東北。TVで繰り返される映像に自分がどのくらい事態が飲み込めているのかも分からず頭痛。幼い頃は沿岸部に家族で旅行に行ったり釣りに行ったりして親切な人にもたくさん会った。地元の友人たちも苦しい時期が続くだろうと思うと、無性に腹が立って仕方がない。
理不尽さや不幸を少しでも解消していけるよう学んで、実行できるようになること。
これ以外に自分の苛立ちを解消する方法はないように思う。
震災の被災者を直接的に救うことが出来なくても、これから先たくさん目の当たりにするであろう悲しいことの類に、差し出す「手」が持てるよう、少し環境を変えてとにかく勉強していこうと思う。
「前よりいい町にしてやる。」というポスターと、はやぶさのポスター
こういった感性と共に力強くやっていくしかない。
先週末は懐かしい友人と再会。朝まで話す。
お互い仕事の話になり色々と教えてもらったのだが、いまホテル宿泊料がメチャクチャ安い。近年の経済の落ち込みの影響だそうで、あまり素直に喜べたことではないらしいが、ならばガンガン利用したろうではないかと、
思い付きで両親に一泊旅行をプレゼントし、自分でも近郊のホテルを予約した。
ということで、GWは一人で近くのホテルに泊まりに行くという謎のイベントから始めます。
「安いから買っとこう!」的な自分の貧乏性を痛感しました。
ウイ

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