イェスタディを歌って、二の舞を踊ってよ。

先週末は釣りに行って幸せな週末を過ごした。
が、人生というやつはバランスが取れていて、今週末はまぁ落ち込む最低な週末でした。
ピーチクパーチク言いやがって結局問題なのはテメーじゃねーか、、と自分を恥じる。「悔い改める」という言葉があるが、一度悔い改めたことには有効期限があるのだろうか、だとしたら更新作業は毎回地獄の苦しみだ。
「同じ轍を踏む」ということわざがあるが、案外言い始めたのは自分の祖先だったりするかもしれない。いやもう、おそらく子孫であろう自分が、さらに後世のためにイラスト付きで同じ轍を踏む悲惨さを戒めておこう。
onajite2
こうゆうことだ。同じ轍っていうのは見ての通り、すげえ危険なのである。
11月の第一週はバカの虫がうずくのだろうか2年前にもバカなことをやった。
去年の時分はあまり覚えてないがやはりバカなことをしたんだろう。
今年は今年で、考えもなしに口をついて出た言葉が身近な人を困らせた。
溜め息をつきながらも、身を清めようと銭湯に出かける。
湯船に浸かりながら改めて考える。だがしかし、果たして本当に当時や先週それを思い留まることが出来たのか。すなわち自分から抜いた刀をしまうことが出来たのだろうか(バカという刀だけど)ということだ。感情は簡単に論理を超えるし、なかなかに抗い難い自分の性質というものもある気がする。
いままでもそうやって簡単になくしてきたものがあることも知っているし、人を傷つけたことも少なからずあった。ならば、これは自身の弱さに対する甘えと言い訳にすぎない。と新たな問題が浮上するが、やはり刃の切先は変わらず自分を向いている。
「強くなければ生きていけないが、優しくなければ生きている意味がない」という言葉を反芻。後悔しつつも、同じ轍を踏み続けてしまうのであれば、いま思うところの人生の図は左様です。
jinsei
この滑稽な感じはどうにかならんだろうかと考えをまとめたいけれど、なかなかに、なかなかに。
二の舞を踊りながら、同じ轍のステップ。
同じ轍を踏むにかけまして懐かしの、しかし不朽のダンスナンバー。
「もう一度」
平日から日曜大工に勤しむことにした。
とりあえず糸鋸を買ってこよう。
ウイ

イェスタディを歌って、二の舞を踊ってよ。” への2件のフィードバック

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