僕のタバコはキャビーヌ! 40代の香り。
最近のデザインチェンジで気絶しそうなパッケージになったね!
昨日のスタジオはねホントにためになったものでした。発想のチェンジってあんなにも難しいものだとは思わなかった。 なにかを表現するってことはやっぱり大変なことなのでしょう。 僕は上手くいかないときすぐ塞ぎ込む癖があって、インスタント自閉症を繰り出すからタチが悪いです。 昨日はメンバーに感謝だよ、ホントに。
一度トコトン塞ぎ込んでみたせいか、朝比奈氏、川尻氏の言葉によって逆にものすごく創作のモチベーションがあがりました。
さてさて今日はライブ、何が起こるやら。
ちなみにこの写真も昨日の落書き、退廃的ですね。
ウイ
ウイ
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キャビーヌッ!
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約25億秒
今日はこの焼きそばの写真から、思い描くことをポツリポツリ、、。
まず、この写真は前に帰省したときに小旅行中に食べた焼きそば。秋田県の横手ってトコなんだけどこの街では目玉焼きをのせた焼きそばを「横手やきそば」と銘打って名物にしています。そのね、アピールっぷりが半端じゃなくて「横手やきそば」の歴史や名店を書いたパンフレットまであるんだよ(市役所発行の)。すごい神経してるよね、突き抜けてるよ。 いつもガストで食べる目玉焼きがのったハンバーグは実は「横手ハンバーグ」だったんだ。 みなさんも目玉焼きが乗った食べ物を食べるときは横手市民の皆さんに感謝してください。
まあまあ、こんなことが書きたいわけじゃなくてこの写真から思い出したのが秋田を車で走り回ってていろんな人に会ったこと。そのときに不思議に感動したのはここにも人がいて毎日暮らしているというあったりまえのこと。初めて赴く地で自分の知らなかった人がそれぞれ生きてるの知ると、なんだか「あー」って思う。これは今までも何度も感じてきたことだけど。
渋谷のスクランブルでも毎回、「ここにいるひとりひとりがそれぞれの人生を持ってて、歴史を持ってる」と考えると飛行機なんかで世界中を周れちゃう時代だけど、やっぱり世界は大きいと思う。っていうか大きい以上に緻密だ、、。
いま考えてみると、20年近く生きてきて僕が名前も顔も知っている人物というのはどんなに多く見積もっても5000~8000人くらいじゃないだろうか?(メディアに出てくる人も含めて)
現在、世界の人口は約61億人、その中で僕が知りえる人は120万分の1にも満たないことになる、極端なたとえをすると僕はいまだ世界の「1/1200000」しか触れていない。
それと、人間の一生を秒数に換算すると、80年生きちゃったとしても25億秒くらいだそうな。
一生をかけても61億人あまりの世界中の人それぞれには会えないのだ。
ここまで来ると世界の広さはもはや儚い。
僕の友人が中学の卒業アルバムに書いた夢は「世界中のヤツ全員にオレの必殺カンチョーを喰らわせる」だったから、、、そいつは生まれた瞬間から一人に対し約0.3秒の速さで必殺カンチョーを繰り出し、80歳まで休むことなくそれを続けなくてはならない計算になる。
明日、電話で教えてやろう。
ウイ -
今日も雨
今年の10月はホントによく雨が降るね。
僕は基本的に雨の日は外に出ない、だからやらなくちゃいけないことが溜まってしょうがない。雨が降ったら全部お休みって生活は一見優雅だけど大抵その日の夜に自己嫌悪に陥る、途方もない虚無に陥る感じがしないでもない。だから「台風の日に原チャで出かけるのが楽しみ」という朝比奈君を見習おうと思う。でも、今度のライブの日は晴れてくれ。
ちなみに雨の日は電話にも出ない。全部シャットアウトする。なんでだろう?
昔は台風の日にわざわざ友達と出かけて増水した川を見に行ったり、強風に乗ろうと傘を2つ持って崖からジャンプしてたものだが。
台風によって亡くなる人もいるので不謹慎な発言にはなるけど、ミニマムな天変地異は日常を破壊してくれる。どこかに非日常や危険さに高揚する心があるのだろう。
僕は今からバイトに行くわけだがお客が誰もこないことをひたすらに祈る。
写真は10月16日の夕方の空。この後、今まで見たこともないくらいの赤い夕焼けになった。それを撮れなくて残念。 誰か見た人いるよね。4日前の夕焼けすごかったよね。 -
ポン・デ・ヒルメロドラーマ
10月5日以来しばらく東京を離れて実家に、一昨日帰ってきて昨日がライブ。
なんだか今こうして家でゆっくりしてると少し不思議な気分になる。別に人に疲れてたわけではないんだけど「やっと一人になれた」みたいな感じかな。
というわけで、昨日の日記
昨日は高円寺で2度目のライブ、高円寺ではリハーサル後、本番までの時間が楽しみ。あの街はとにかくいろんなものがあって楽しい、メンバーで出かけるのが好きだ。昨日はあんまりゆっくり出来なかったけど、わがままを聞いてもらい今日も全員でカレーを食べに、いやー昨日の店はおいしかった、暫定3位だな。
ライブ後、ミスドで会議、とても有意義な会議だった。「ポン・デ・紫いも」を食べながら朝比奈君の鋭い意見に耳を傾ける。
そして、10年来の付き合いの友人が住む東高円寺に、新宿の高層ビル群が見えるひっそりとした空間に住むと言うのは何と言うか幻想的だなと思った。日本代表のサッカーを見ながらなぜか爆笑し続ける、背番号2番の人がオマーンのシュートを腹で受け止めて止めたときは「奇跡だー!」と言いながらなぜか爆笑だった。ジーコの通訳が退場させられたときは呼吸が出来なくなるぐらい笑った。昨日は鈴木とオマーンの頭に包帯をしてた選手にもとにかく笑わせてもらった。ありがとう。
(ちなみに川尻君のサッカー予想は的確だ)
朝方、友人宅から帰宅。新宿まで出ようと思ったが友人宅の目の前のバス停から渋谷までのバスが出てて200円ですごい楽に帰ってきた。バス路線はあなどれない。
そして今「愛のソレア」という昼メロドラマを見て5分おきくらいに起こる悲劇に、ニンマリ、、。
「あの女が洋一さんを殺したのよー!」と塩を投げつける主人公。
「ぼ、僕が美穂を殺してしまったんだ、、」とリアス式海岸に立ち尽くすイケメン俳優。
「美穂ッー!みーふぉー!」と断崖絶壁で叫ぶイケメン、そしてその叫びがなぜか自宅にいながら聞こえてしまう主人公「洋一さん、、?」
明日も見なければ、、。
(写真は実家に帰ったとき、山奥にドライブしたときになんかの記念で走ってたSL。近くで見るとすごいメカニックでカッコよかった)
ウイ -
通過
僕は幼い頃から日本の各地を転々として育ってきました、小学1年生の頃、富山県の海沿いの街に住んでいました、当時の僕の全世界はその小さな街の一部、そこで多感な少年期を送っていました。二年生にあがってすぐに岩手に引っ越してその街に赴くことはなかったんだけど18歳の頃、無茶な一人旅の途中で立ち寄ることに決めました。そこで、再び出会った街なみに、僕が感じたのはとても不思議な感情でして、単なる懐かしさでは到底表現できないものでした。
なんというか、「本当にこの街はあったんだ、、。」といった心境が一番近かったかもしれません、あくまで記憶の中でしか見れなかった風景をまじまじと見せ付けられ「あー、オレ本当にここにいたんだ」と思っちゃったんでしょう。
幼い頃に短い時間を過ごした場所は10年を経た自分にとってはどこか幻想的で平面的になってしまっていたからかもしれません。
過去に自分が遊んでいた公園で遊ぶちっちゃい子を見ていて
「続いてるんだぁ、、、。」とひしひしと胸を締め付けられるようなものもを感じたのをおぼえてます。
ひとつひとつ昔見ていた風景を確かめながら「ここにいた」と確かな実感が湧くにつれ、それまでは思い出せなかった情景がフィードバックしてきたのも印象的でした。
ありきたりな表現だけど『風景が話しかけてくる』ってのはこういうことなのかもしれないなーと思いました。
自分が通過してしまったとしても「場所」は消えない。少しずつ形は変わっていくかもしれないけど「そこ」は在り続ける。
という一見あたりまえのことにえらく心を揺さぶられたわけです。
こんなことを思い出したのも、今日喫茶店で友達とMy Little Loverの『Hello, Again ~昔からある場所~』って曲いいよなーって話から、
マイラバ→ 記憶の中で~(歌詞)→ 昔からある場所 → 富山
みたいな連想ゲームみたいに思い出しました。 あの曲良いですよね。
ウイ