約25億秒

491a8bdb.jpg今日はこの焼きそばの写真から、思い描くことをポツリポツリ、、。
まず、この写真は前に帰省したときに小旅行中に食べた焼きそば。秋田県の横手ってトコなんだけどこの街では目玉焼きをのせた焼きそばを「横手やきそば」と銘打って名物にしています。そのね、アピールっぷりが半端じゃなくて「横手やきそば」の歴史や名店を書いたパンフレットまであるんだよ(市役所発行の)。すごい神経してるよね、突き抜けてるよ。 いつもガストで食べる目玉焼きがのったハンバーグは実は「横手ハンバーグ」だったんだ。 みなさんも目玉焼きが乗った食べ物を食べるときは横手市民の皆さんに感謝してください。
まあまあ、こんなことが書きたいわけじゃなくてこの写真から思い出したのが秋田を車で走り回ってていろんな人に会ったこと。そのときに不思議に感動したのはここにも人がいて毎日暮らしているというあったりまえのこと。初めて赴く地で自分の知らなかった人がそれぞれ生きてるの知ると、なんだか「あー」って思う。これは今までも何度も感じてきたことだけど。
渋谷のスクランブルでも毎回、「ここにいるひとりひとりがそれぞれの人生を持ってて、歴史を持ってる」と考えると飛行機なんかで世界中を周れちゃう時代だけど、やっぱり世界は大きいと思う。っていうか大きい以上に緻密だ、、。
 いま考えてみると、20年近く生きてきて僕が名前も顔も知っている人物というのはどんなに多く見積もっても5000~8000人くらいじゃないだろうか?(メディアに出てくる人も含めて)
現在、世界の人口は約61億人、その中で僕が知りえる人は120万分の1にも満たないことになる、極端なたとえをすると僕はいまだ世界の「1/1200000」しか触れていない。
それと、人間の一生を秒数に換算すると、80年生きちゃったとしても25億秒くらいだそうな。
一生をかけても61億人あまりの世界中の人それぞれには会えないのだ。
ここまで来ると世界の広さはもはや儚い。
僕の友人が中学の卒業アルバムに書いた夢は「世界中のヤツ全員にオレの必殺カンチョーを喰らわせる」だったから、、、そいつは生まれた瞬間から一人に対し約0.3秒の速さで必殺カンチョーを繰り出し、80歳まで休むことなくそれを続けなくてはならない計算になる。
明日、電話で教えてやろう。  
ウイ

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