やーめた、やめやめ、こんなの出来るはずが無い。
友達が父親の本棚から持ってきちゃった本。『イキな紳士のしゃれたY談集 ~夜の話題に強くなる~』って・・・。
「レディに春画を見せるコツ」、必見です。
モヒカンにしようと思ったらね、長さが足りなくて無理でした。無理なトコを無理矢理モヒカン風にしたから超イケてない事になってしもうた。スーパーダサい。GIみたいになった。僕はジャガー。
アサヒナ・ジャガーロビンソン
幻想的存在の実在
今日、夕方に起きてカーテンを開けたら虹が出ていた。
そういえば、この前虹を見た日を鮮明に覚えている。もう三年くらいたつ。
4月19日、昼にライブし終わってソワソワしながら渋谷歩いてるときに見た。
虹はすごい威力持ってる。頭の中で描いてるイメージのそれをいつも上回る。
そういうものって多々あるけど、海とか地平線とか流れ星とか夕景とか、いろんな意味で大きすぎて決して頭の中には入りきってくれないんだろうなと思う。
オーロラとかもそうなんだろうな、うちの親父が若い頃一度だけ見たらしいんだけど、TVでオーロラが映される度に「こんなもんじゃないんだ!」となぜか怒り口調で自分自身が味わった感動を伝えようとしてくる。
たぶん、目の当たりにしないことには分からないんだろう。
最近、お茶漬けのCMがなんか嫌だ。もっとおいしそうに食べたほうがいいと思う。
あの人、昔チャーハンもスゲー勢いで食べさせられてたけど、これからも永谷園の新製品が出る度に一気食いをさせられるのかと思うと少し気の毒でもある。
昨日から新曲に着手。きっとずっと創りたかったモノになると思う。
ウイ
祝!!
久しぶりに
ふと
「いつか死んでしまうのに、なんてつまらないことにとらわれてんだよ」って、他人に対して思ってしまうことがある。自分自身つまらないことをやりながら、いろんなルールにとらわれつつ生きているにも関わらず、、。
他人に対してこんな考えを向けるのはとても偏っているに違いない。
だって、きっと、死と秤にかけられる事柄は「つまらないもの」であって当然なのだ。そう易々とたびたび死と秤にかけてバランスの取れる問題に直面していては大変だ。
だけど、僕は頻繁にいろんな事柄を死と秤にかける。
なぜなら、何でか死ぬときのことをいつも考えてしまうからだ。
別に自殺願望はないし、ノスタルジックな死への憧れも持っていない。
ただ、考えてしまう。死ぬまでに何回、遠慮し躊躇し自分をごまかすのかって考えちゃって、その回数の累計によってはちゃんと死ねない気がするのだ。
「ちゃんと死ぬ」って定義もあやふやだけど。
「こんなふうに死にたい」ってイメージはないけど、「こんなふうには死にたくないな」って具体的なイメージはある。
後悔を繰り返す分にはかまわないけど(むしろ必要だとも感じる)、躊躇する人生はいやだなと思う。それはとても難しいことなのかもしれないけど。
こんなことをつらつら書いてしまうのは、きっと今日の自分が欺瞞に満ち溢れてたからなんだろう。
でも、渋谷でも新宿でもあの膨大な数の人が行き交う交差点で、発狂したように叫びだし、全員ビックリさせつつ「気持ちわりー」とか「何だあれ?」とか、あるいは「ステキ、、。」なんて思われてから、自分自身に大笑いし終わった後に死にたいと思った。
いちおう今日現在は。
ウイ