「いつか死んでしまうのに、なんてつまらないことにとらわれてんだよ」って、他人に対して思ってしまうことがある。自分自身つまらないことをやりながら、いろんなルールにとらわれつつ生きているにも関わらず、、。
他人に対してこんな考えを向けるのはとても偏っているに違いない。
だって、きっと、死と秤にかけられる事柄は「つまらないもの」であって当然なのだ。そう易々とたびたび死と秤にかけてバランスの取れる問題に直面していては大変だ。
だけど、僕は頻繁にいろんな事柄を死と秤にかける。
なぜなら、何でか死ぬときのことをいつも考えてしまうからだ。
別に自殺願望はないし、ノスタルジックな死への憧れも持っていない。
ただ、考えてしまう。死ぬまでに何回、遠慮し躊躇し自分をごまかすのかって考えちゃって、その回数の累計によってはちゃんと死ねない気がするのだ。
「ちゃんと死ぬ」って定義もあやふやだけど。
「こんなふうに死にたい」ってイメージはないけど、「こんなふうには死にたくないな」って具体的なイメージはある。
後悔を繰り返す分にはかまわないけど(むしろ必要だとも感じる)、躊躇する人生はいやだなと思う。それはとても難しいことなのかもしれないけど。
こんなことをつらつら書いてしまうのは、きっと今日の自分が欺瞞に満ち溢れてたからなんだろう。
でも、渋谷でも新宿でもあの膨大な数の人が行き交う交差点で、発狂したように叫びだし、全員ビックリさせつつ「気持ちわりー」とか「何だあれ?」とか、あるいは「ステキ、、。」なんて思われてから、自分自身に大笑いし終わった後に死にたいと思った。
いちおう今日現在は。
ウイ