部分であってすべてであるモノ、またその逆。

31437a39.JPG今日、そのイメージは鮮明に見えた。名付け不可能なもの。それは部分であると同時にすべてであるもの。気付けば感情を剥き出しにして歌ってて頭がゼロもしくはMAXになって、透明が見えた気がした。
音楽は楽しいし、素敵だと思うし、何より好きだ。
だけど、自分が歌う動機は、きっといろんなことがやりきれないからだと思う。
不幸とか憤りっていうんじゃなくてね、たとえば、「あーやっぱり時間は過ぎるなぁ」とか「夕日は沈むなぁ」とか、そうゆうのに近いたくさんのもの。あれでしょうか、諸行無常。おそらくそんな感覚を持って臨んでる。別にネガティブでもなんでもない。
むしろ、そんな感情を音に紡ぎ出せるバンドにいることに感謝しているし嬉しい。
ただ、こんなことを言っておきながらだけど、歌う動機などは要らない、大儀名分サヨウナラ。
これは声を失っても、腕をなくしても続く感覚だと思う。今は曲を作って近づきたいだけです。透明で重大な存在。さて、この先も参りましょう。 
今日はリハーサルが終わってから6時間近くあったので、とにかく色んなトコに行った。多摩川行ったりラーメン食ったり、最後には男3人でオープンカフェ風ケーキ屋。写真はその様子。ニ・コ・タ・マ・ツワァー!
いまオリンピック見てる。カーリングいいですね。みんなジャージ着てスーーっと動いて「つーーーっシャコシャコシャコッ!」って。こんな優雅なスポーツがあったなんて、、都内でどこで出来るのか教えてください。
書いてる途中でモーグル始まりました、相変わらずヤバイですねコレ。究極にかっこいいです。昔、ボードでモーグルコース入っちゃって降りるのに40分くらいかかったんだけど、今思えばあの時はボード脱いで歩いて降りりゃ良かったんだ。
ウイ

部分であってすべてであるモノ、またその逆。” への1件のフィードバック

  1. オリンピックなんて一秒たりとも見てない僕ですが。 
    今日も何とか元気death!! 
    互いのブログを通して会話する、てすっげー効率悪いけど何か新鮮… 
    ライブお疲れでした、行ってないけど。また今度遊びに行きまっせ♪ 

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