もうずいぶん寒くなってきましたね。
今月はライブもお休みで非常にまったり生活してます。
今日は、コンビニ店員さんよもやま話です。
コンビニの店員さんとは、毎日コンビニに行く人にとって非常に奇妙な存在です。
別に友達でもないし、特に話すこともありませんが、毎日顔を合わせます。
気がつけば、なんとなくツーと言えばカー的な存在になってたりもします。
先日、駅前の本屋に入ろうとしたら若いカップルがなにやらケンカをしている様子。チラッと男の子の方と目が合ったと思ったらよく行くコンビニの店員さんです。
普段から非常に感じの良い青年で「今日はおタバコどうしますか?」とか気さくに話しかけてきてくれる子です。(まぁ僕はそういうのが嬉しくも非常に苦手なのですが)
彼がキムタク風に「ちょ、待てよ!」と彼女らしき人を引き止める現場に出くわしてしまった自分でしたが、過去の教訓からすばやくスルーです。それはまるで空気のように。まぁ当たり前だけど。
そんな風に、ときに人は空気にならなくてはいけないのだと未熟な僕に思い知らしめた過去の事件を、、。
ある日、朝の超満員電車で毎日顔を合わせるコンビニ店員さんと隣り合わせになりました。空いてる車内ならお互い距離を保ちつつ素知らぬフリも出来たでしょうが、すし詰め状態で体は密着しています。
この状況は僕の頭を非常に悩ませました。
「この場合、話しかけるのと話しかけないのどっちが自然なのだ!?」と。
話しかけないのが基本的にはベターなのでしょうが、30分近くその状況が続くと思うとなんだかとても息苦しいです。そしてやはり相手も僕と同じように気まずそうにみえます。
そして僕は『こんな中途半端に緊迫した状況はおそらく年長者であろう自分が解決すべきだ』と小さな決断を下しました。
何か2、3言交わしてしまえばお互い楽になるだろうという判断でした。
この甘っちょろい判断が数秒後、後悔に変わるとも知らずに。
こうして、いざ話しかける決意は出来ました、が、今度は何と話しかければいいのか?という問題が浮上しました。
共通の話題があるとすればコンビニ弁当の種類くらいです。
「今日はどちらまで?」→質問の意図が見えない・話が長引く危険性
「昨夜はお弁当を温めてくれてありがとう!」→気持ち悪い・コンビニにいけなくなる
などと、何通りか考えた記憶があります。
いまにして思えば、この時のベストチョイスワーズは「おはようございます。お早いですね」だったと思います。もしくは「あ、どうも」の一言。
こんなことにも気づけなかったあのときの自分は相当、思考の迷宮の奥深くに迷い込んでいたのでしょう。
結局、僕は下のように話しかけました。↓
自分「こ、こ、混んでますね、、。」
相手「、、は?」
自分「あ、電車が、、。」
相手「はい」(訝しげに)
以上です。
混んでいる電車の中で、電車が混んでいるという事実を相手に伝え、同意を得るに至りました。
この一連の動きを「ひとり相撲」と言います。
ウイ
読んでて思わず苦笑い
よくあります、たま~に意気込んでガンバっちゃったら、空回りに終わるコト…
相手がいるのに一人相撲。都会ってなんだかサミシイっすね
ライブ月曜かぁ~。むふぅー。
そういえばmixiにmotionの関係者さんいたよ。