エトセトラエトセトラ

0f84cf7b.jpgさてさて、2月も下旬です。
今月はとても忙しいような気になっていたのでブログはお休みしてました。
先日中国から一時帰国した幼なじみと渋谷でお茶をした。
彼とは非常に長い付き合いだ。小学校4年からかな?近所の公園でメンコで遊んでいたときに知り合った。サッカー部でも一緒で休日の釣りでも一緒、東京に上京してきたタイミングも同じででまぁとにかく一緒だった。
去年いきなり入籍して、いきなり「中国行くわ」と一大決心をしたときはさすがに驚いたけど、奥さんとも仲睦まじく暮らしているようで相変わらず面白かった。
お土産のスゴイ色したゼリーはなかなか勇気がないと食べれそうにない。
あと4年は中国にいるらしい、ということで僕は今年中国に行ってきます。
あと最近、ちょこちょこデザインとか構成のお仕事?を頂くようになった。
パソコンに向かってる時間が昔に比べて驚くほど長くなっていると思う。
人のばっかやってないでベネチットハースのHPもリニューアルせねばっ!
最近どうしても初対面の人と話すことが多いのだけど僕は気を使わせやすい人間らしい。まったくもって自身の不徳の為す所です。
それに関連して自分という人間が、相手に嘘や沈黙を作らせることについて考えてみた。
人が人として存在する以上、相互に関わる人間とは円滑なコミニュケーションが行われるよう、互いに様々な思惑が交錯する。大人になればなるほど円滑でスマートな関係は好まれ、互いに嘘と沈黙は増えていく。
気がつけばみんな微妙に不都合な真実をいくつか持っている。でもそれは、思いやりの産物だったり、優しさの努力の痕だったりするから、コイツはどうしようもないのである。その側面からみれば真実はときどき無価値で無粋だったりする。
「不都合な真実」といえば話題の映画ですね。
いまの環境問題を描いたもの。
たぶん現代社会に生きてるだけで自然には優しくない。
自然界の神様に「人間はどうしたらいいですか?」って聞いたら「お願いだから死んでくれ」って言われると思う。ただエコ的な心がけは大事だと思います。
アフリカの貧しかった人々が一番エコで、いま「エコッエコッ」って叫んでるインテリ富裕層~中産階級が一番環境を破壊してきたのは自明。
ここでまた、個人的にため息出ちゃうのが、一部の人々が環境問題に取り組むことが創造的で美しいと勘違いしている点。「地球にやさしく」というキャッチコピー。
「地球にやさしく」なんて言ってしまえる知恵がついている時点で生態系からはとっくに外れていて、自然にとって異物であることは明白なのだ。
環境問題に取り組むならある意味、贖罪なのだということを忘れちゃいけないと思う。
少なくとも僕は異物であることを自認しながらペットボトルを分別し、エアコンをつけて、車に乗ったりして生きていく。
つまり、僕は地球に住んでいるわけではなく世界に住んでいるということ。
本当にそういうことだと思う。
閑話休題、、。
真実の良いところを挙げるとすれば真実は寸法を持ってるってことだな。
今まで嫌な事もたくさんあったけど「あぁ知らないで良かったな」
「知りたくないな」なんてことはひとつもなかったのが不思議なところ。
これは救いでもあるのかも知れないけど、どんなにおいしいカレーでも、とてつもなくまずいカレーでも、喉元過ぎればなんとやら、栄養になっちゃうのである。
しかしながら、この散文的な思考も駄々崩れの長文も
実に人間らしく、実に滑稽なことである。チャンチャン。
This world is a comedy to those that think; a tragedy to those that feel.
とっても納得できる言葉。
ウイ

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