ビアンカも救えないヤツが世界を救うだって、、ハッ!

iti最近シバタ夫妻宅に行ってはドラクエ8を手伝っている。というか、手伝わせてもらっている。もうやり方が僕と全然違う。軽くショックでさえある。
僕は基本的にイベントが進んで新しい街についたら、その街の武器屋と防具屋の最強装備を揃えるまでは街の住民にもあまり話しかけない。土着のモンスターと戦いまくってはゴールドを貯め、宿屋へ。最強装備を揃えて土着のモンスターも余裕で倒せるようになってから、やっとお城の王様に話しかけに行くのだ。
それが普通だと思っていた、むしろその街の武器屋や防具屋に対しての、ひいては新しく展開する物語へのマナーであるとすら考えていた。要するに強烈に、郷に入っては郷に従っていたわけである。
ところが、いま手伝ってるドラクエでは、とにかく冒険優先で足早にイベントをこなしている。経験値も足りないので、うっかりすると普通のモンスター相手でも全滅しそうだ。なのでルカナンとかスクルト、バイキルトを駆使して戦うのだが、思い返してみると僕はいわゆるこうゆう補助系の呪文を使っていた記憶がほぼない。
ボス戦なんかはみんなでキャッキャ言いながら、一進一退の攻防戦。
あー、楽しい、、。こっちのやり方が普通だったかも、、。
まぁでも、僕の友人なんかは、街の人とお話→カジノ→宿屋 を繰り返す、街から出ない「暮らすドラクエ」という、クエスト無視の新しいスタイルも確立していたし、楽しみ方はいろいろあるよね。
あと、ドラクエ5でビアンカと結婚しない人、すごいね。無理だよ。
僕は2回目やるときも、「イオナズンが使えるようになるから次はフローラだ!」と意気込んでいたけど、やはりいざその時になると、ビアンカを選んでしまった。
当時フローラを選んでた友達に「どうしてフローラと結婚したの?やっぱイオナズン?」と聞いたら、「それもあるし、髪の色が青くなってカッコイイじゃん」との返答が帰ってきたときにはナヌー!と怒りをおぼえた気さえする。 ま、ゲームなんですけどね、、。
ということで、一昨日は朝までドラクエで徹夜。ドラクエ徹夜って驚くほど幸福です。
おかげで、次の日はいろいろ予定が詰まっていたのに超眠い。どうにか昼過ぎに起床してトレードショーを見に行く。先輩がブースを出すということで100%デザインTokyoに行ってきた。nisan
んまー、大規模大規模。ビックラこきました。
徹夜明けの僕は会場を一人でくさった死体のようにトボトボ。自分の仕事にも役立てられるかと思い勉強する意気込みだったけど、
もうなんかキラキラしすぎてて、外国の人に話しかけられながら「ギャー、ソーリーソーリー」と各ブースを謝罪して回ってる気分でしたね。しかも場内は撮影禁止とのこと、フィルムいっぱい買ってったのに先輩の雄姿もろくに撮れませんでした。残念。
でも素直にすごいなと思った。自分のデザインしたものがモノになるまでって本当に本当に大変ですからね。昔の先輩同僚が独立してデザイナーとして、誰もが知ってる企業の人と忙しく名刺交換している。数年前は同じ職場で働いていたのにと思うとなんだか感慨深かった。
この先輩、僕が社会人になり初めて営業先に行くとき、緊張でガクガクしている自分に同行してくれた人である。トップ営業なのに、営業スタイルがブッ飛び過ぎてて、、いまだから言えるけど、当時何も参考にならなかったです、はい。
アドバイスを聞くたび、なんちゅー恐ろしいことをする人だーと常々思っておりました。
けど、印象的だったのが、NSビルで営業会議があったとき、ロビーに展示されてるオブジェをみながら「永久展示」というものについて訥々と話してくれたこと。「自分が死んでも残るからねー」という言葉に、なんとなく考えさせられて、ウームと深く唸ってその日の午後は仕事に行かなかったものです。
とにかく、何かを生み出し、それを残すってのは大変なことですね。やはり勉強になるイベントでした。
その後、叔父に会いに行こうと渋谷東急内を試食しながら徘徊、が会えず。
tetete氏に会いにいこうと勇気を出して、渋谷が渋谷たる場所にも行くが、会えず。
そして今日野球の試合のはずでしたが、延期になっちゃいました。
一番上の写真はおもしろいフィルムを頂いて撮影。
撮影時間は夜11時くらいなのに、朝焼けみたいです。
嗚呼、哀愁の南武線。
ウイ

ビアンカも救えないヤツが世界を救うだって、、ハッ!” への2件のフィードバック

  1. 徹夜ドラクエごくろうさん。 
    僕も100%デザインTokyo見に行きたかった。 
    一週間くらい前に言って頂ければいけたので次回絶対誘ってね。

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