ドラムレコも一段落して少しのほほんとした日々が続きます。(ホントは忙しいはずなんだけどベース録りが終わってからが本当の激務)
最近はバイトも少なくしていて奇跡的に午前中に起きる習慣がついてます。
だから小説を買い込んで、午前中からモスのウイ特等席(勝手に)に居座りずーっと本を読んでます。まったくかなり幸せです。
推理小説やら宮沢賢治の童話やらかなりランダムに読んでいるんですが、その中でも最近ドーンってなったものを紹介させてください。
まず、宮沢賢治の『春と修羅』
告別
おまえのバスの三連音が
どんな具合に鳴っていたかを
おそらくおまえは分かっていまい
その純朴さ希に充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
~
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらの人のどの人もまたどの人も
五年の間にそれを大抵無くすのだ
生活のために削られたり
自分でそれをなくすのだ
すべての力や学や材というものは
一人にとどまるものではない
~
そのあとでおまえのいまの力が鈍り
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもうみない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけているような
そんな多数をいちばん嫌に思うのだ
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘を思うようになるそのとき
おまえには無数の影と光りの像があらはれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日遊んでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音を作るのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
ちからのかぎり
空いっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいい
この詩は、賢治が教師のとき教え子であったある少年への別れと励ましをつづったものです。読みやすいように結構現代語にしたり省略しましたが、原文で読むと東北の言葉使いや独特のニュアンスがもっと伝わると思います。
東野圭吾の『パラレルワールドラブストーリー』も載せたかったんですけど長くなりすぎなので辞めます。この本はプロローグ P1~P12までがすべてと言ってもいいほどです(自分としては)。後半は個人の趣向によるかな、、。とにかく、プロローグが 「あー、、あぁー」ってなります。ここだけでも読んで欲しいです。 むしろここだけ抜粋で売ってもいいとさえ思います。
(写真は季節外れだけど今年の春近所の公園で撮った一枚)
ウイ
俺がこんなこと言っても説得力ないけど、宮沢賢治いいこと書くよね。
宇井ちゃんは岩手に住んでたから、特に宮沢賢治の一文一文に価値を見出せるよね。羨ましいス!
俺が生まれ育ったこの川崎には「芸術は爆発だ!」の岡本太郎がいるぐらいだけど、彼の作品にまだ価値は見出せてません…。
宮沢賢治いいよね、深入りして読んではいないけど俺も好きです。